燃え燃えキュン

小説読み書きレビューしたりゲームの考察についてのブログ

いらない記憶とは

 記憶っていうのは、別の言い方をすれば経験ってことですよね。

 嫌な記憶を忘れられたらいいのになーって思う反面、そういう負の記憶もどこかで自分の糧になっている可能性を考えると、そう嫌な記憶も邪険にできねぇよなぁとかも思う訳だ。

 しかし実際、思い出すと胸糞悪くなる記憶もあるわけで。

 それについての記憶が何かに活かされていると思えないと、ただの障害でしかないように思えても仕方ないとは思う訳で。

 あー結局何が正しくて何が間違っているかなんてわからないよね。おしえてよかみさま。

 中学生頃から自分は「自分が正しいと思ったものが正しい」という考えで生きてきているわけだけど、心からそれを信じているかと聞かれたた絶対の自信を持ってそうだとも言えない訳で、結局のところ自分に自信が持てなくて不安ってことなのかな、って思うと自分の矮小さを自覚させられるようで吐き気がするね。

 そもそも何を以って正しいとし、何を以って間違っているのかすら自分は分かっていないという。

 そういうことを考えていると自分って哲学者にでもなればいいんじゃねーのとか考えたくなる訳だけど、まぁ学無いし勉強嫌いだし、なろうと思えばなれるのかもしれないけど他にやりたいことがあるから心の底からなろうとは思わない訳で。

 じゃあ結局自分が正しいという前提でものを考えると、嫌な記憶というものは消した方が良いという結論になり、この記憶は抹消した方が良いのである。

 が、ならこの忌まわしき記憶を消せるかというと不可能であり、やれることと言えば馬鹿みたいに喚いたり他のことに逃避したりすることしかできないのであるが、しかしそんなことをして無駄なことに時間など使えないということを理解しつつも他にやれることがないので、自分は結局漫画を読んで現実逃避するしかないのであったりする。

 結論から言えば、地球爆発しろ。