燃え燃えキュン

小説読み書きレビューしたりゲームの考察についてのブログ

どうせだからもっと臭ぇこと書くけど

 良く母親ってさ、大変な家事を毎日やっているのに誰からも褒められない、もっと感謝されるべきだ、とか、たまには家事を代わって欲しい、みたいなことを言いますけど(うちの親だけかもしれませんが)、それってちょっと変じゃないかなぁと自分は思うことがあります。

 確かに家事をしてもらっているのはありがたいことですが、それは『母親』の『仕事』だと思うんですよね。義務と言い換えてもいい。

 それに対して子供(息子、娘)の仕事は勉強じゃないですか。基本的には。

 でも『子供』が『勉強』したからって、別に親から褒められたりはしないじゃないですか。別の言い方をすれば仕事の内容が自分のため、なんですよね。対して母親の義務は他人のため。

 しかし同じ『義務』であるのに、母親だけがあんたたちのために毎日家事がんばってんのに、って主張するのには違和感があるというか。まぁ確かに子供だって毎日勉強するわけではないし、仕事の頻度でいえば母親に劣るかもしれませんが、いやそれでもあんたは母親(大人)だろう。子供と同じ立場になろうとするなよ、とか言いたくなるんですが。

 自己のための『勉強』も他人のための『家事』も『義務』ということには変わりないと思うんですよ。

 なのに母親ばかりが『他人のための義務』を主張して文句を言うのは違うんじゃないかなぁと自分は思うんですよね。

 もちろん仲の良い家族であれば、子供の素直な心で「お母さんありがとう」という場面が発生するのかもしれませんが。

 うちのような仲の悪いところだと「当たり前のことをやって感謝されるべきとは図々しすぎる」って感じになります。そりゃこっち(子供)が勉強もせずに云々とかいうのなら仕方ないかなってこともあるかもしれませんが、子供としての義務を果たしているのに文句を言われるのはどうなの。

 とか昔、考えたことがありました。

 いやーあの頃の自分はそこそこ暗黒でしたからね。

 母の日にラジオに届いたメッセージで「お母さんいつもありがとう」なんていう手紙をDJが読んだ時は、私は「んなこと子供がマジで思ってるわけねーだろ。ラジオで紹介されたいがためにイイコトでっちあげたに決まってんだろうが。親に感謝する人間なんて地球上に存在するわけなくね?」とか思っていたし。

 それを心の底からマジで思っていたんだからあの頃の自分は救えねぇっすわ。

 

 何が言いたいのか分からなくなってきたけど、とりあえず自分がもし親になる機会があったとして万が一子供が生まれたら、自分の親のような人間にだけはなりたくないな、と思いました マル