燃え燃えキュン

小説読み書きレビューしたりゲームの考察についてのブログ

なんか人生とかどうでもよくなってくる事ってあるよね

 あーあ地球滅亡しねーかなーってぼんやり考えたりしてる。何の生産性も無い。

 みんなの興味を引くような素晴らしいアイディアが欲しいなって。アイディアってなんだよ。

 面白いものがない、と感じてしまうのは自分の経験・知識が増えただからだろうか。それとも無感動な人間になったからだろうか。

 

 創作には二段階存在すると仮定する。

 まず第一段階。

 自分の面白い・作りたいと思ったものを形にする。

 創作における初期段階だと思われる。

 では第二段階ではどうすべきかというと、自分の中に生まれた『面白い』を他人に伝えるべきであると言える。

 勿論、自分だけで楽しむ・自己完結させるのであれば他人に伝える必要はないだろうが、もし自分の創作物を他人にも楽しんでもらいたいのであれば、伝えるための努力は必要であろう。

 中には初めから他者を喜ばせるために創作するというケースもあるだろうが、基本は自分の作りたい物を作る、というスタンスから始まるだろう。

 自分が面白いと思ったものを作るのは当たり前であり、そしてプロであるなら(プロになろうと考えているのなら)どうやって自分以外の人間にもそれの面白さを伝えるか、を考えなければならないと自分は思う。

 しかし面白さ、というのが厄介だ。

 自分の作品の面白さを他者に伝えなければならない訳だが、自分の作品の面白さを作者は理解できているかというと、難しい。

 作品のどこが面白いか、という話であるが、それが分かれば苦労はしない。

 面白さというのは、作品全体を味わった上で、面白いかつまらないかの判断をするのであって、一部分だけを捉えて面白い・面白くないというのを判断するのは極めて難しい。

 確かにピンポイントで、ここが面白いというのはあるだろうが(あのシーンのギャグが面白かった等)、しかしそれが物語としての面白さかというと、そうではないように思える。

 ピザに乗っかっているチーズだけを食べて、そのピザが上手い・不味いと言えるだろうか。言えない。

 小説は料理であり、素材ではない。

 ピザのチーズだけを食べて旨かったとしても、ピザとしてチーズを含めた全部を味わったら不味かった、ということもあるだろう。

 それに似たようなもので、小説も全部を読み終えてからでないと、面白い・面白くないの判断は出来ない。というかしてはならない。

 このように小説の面白さというのは全体で判断されるのもであって、ここが面白い、とピンポイントでその小説を語ることは結構難しい。

 とまぁどうでもいいことを語ったが、第二段階に至るためには、まず他者に分かりやすく作るのは必須であり、そこから更に、今風にアレンジしたり、流行りを気にしていく必要があると思う。

 たまに遭遇する。

 オリジナリティのありそうな設定の物語だが、それを今風にアレンジできていなかったり、オリジナリティはあるけどどう頑張ってもウケが狙えるジャンルではないだろう、と感じたり。勿体ない。

 まぁストライクゾーンを狙いつつオリジナリティのあるものを作り出すって相当難しいよね。野球でいうなら、ストライクゾーンを狙えつつ今までにない全く新しい球種を生み出せっつってるようなもん。

 漫画であればWボールみたいなもんでも生み出せるだろうけどさ。残念ながら我々の土俵は現実だからね。例え奇抜な魔球を考え付いたとしても人間の限界と物理法則を超えることは出来ないからね。難しいよね。

 創作というコンテンツがどこまで進化するのか本当楽しみ。

 

 少し思ったんだけど、

 ライトノベルは面白そうだから読む。つまらなそうだったらその時点で読まない。

 一般小説は、この作者の作品だからとりあえず読んでみて、それから面白いかどうかを判断する。

 って感じだと思う(勝手なイメージ)。

 作者買いが発生しにくいライトノベルはその時点で色々と不利要素あるよなーって思った。でもその代り、イラストレーター買いが発生するのだろうか。うーむ。

 ライトノベルって似たようなストーリー、設定、キャラが多すぎるから、正直イラスト以外で選べる要素が無い作品が多いと思う。イラストが良ければ売れるんでしょ? っていう意見はあながち間違いではないのではないだろうか。

 イラスト以外で差別化するためにも、ラノベ作家はがんばれがんばれ。