外連味について考える
創作における意味での外連味ね。
とりあえず暫定的な結論を言うとすると、
フィクション世界で許されるレベルの現実味
のことではないかと思う。
ぶっちゃけね、現実は小説より奇なりではないけれど、フィクションよりノンフィクションの方がよっぽど滅茶苦茶なんだわ。
フィクションを見ていて、いやここで主要キャラ死ぬとかありえないだろ、と思ったとしても、現実じゃ昨日まで元気だった人がいきなり事故で亡くなったりするからね。
大会の決勝戦でライバル同士の二人が遂に激突!
しかし片方が急に盲腸になって不戦勝とか。
フィクションでそんな展開やったらブーイングものだけど、まぁ現実では起こり得ることだよね。
だから創作の世界において、やたらリアリティがーリアリティがーとか言われるけど、や、その尺度で言ったら現実の方がよっぽどリアリティ無いから、と言いたくなったりする。
まぁ以前、創作物に必要なのはリアリティではなく説得力だと結論は出したからそれはいいとして。
んで外連味について話を戻すけど、読者がギリギリ許容できる非現実感のことだと思ったのよ。あるいは(非現実的な)期待、望み、希望の具現化。
で、前者であれば非現実感を読者に許容させるために演出というか説得力が必要となってくる感じ。
満身創痍で血だらけでボロボロの主人公がいるとしよう。
「いや普通に考えてあんだけ血流して立ってられるわけねーだろ。むしろ生きてられるわけねーだろ」と冷静な読者が思う。
でも例えば承太郎みたいなキャラであれば、「まぁ承太郎なら立つかもな」と思うかもしれない。それにはガタイがいいという説得力(と言っていいのか分からんが)であったり、これまでのお話の中で根性で不可能を可能にしてきたキャラだったりすれば、読者の中に自然と理解力が生まれ、どうみても致死量の血を流しているけど立っててもまぁいいかな、という説得力が生まれるのである。
『満身創痍で血だらけでボロボロの主人公』っていうのは後者においても当てはめることができて、ここで主人公が倒れたらヒロインはどうなる! 立て主人公! 立ってくれ! という読者の期待があれば、例え致死量の血を流していても主人公は立っていることを許されるのである。どう見てもあんな大岩に押し潰されたら即死だろうに、ちょっとダメージ喰らっただけで這い出てくるのも許されるのである。
つまりは、まー説得力があるかどうかって話になっちゃいはするんだけども……じゃあ説得力ってどうやって生み出せばいいのかって話になっちゃいはするんだけども……。
難しいんだけど、外連味ってのは「出来るだけ非現実的にしつつ、だけど読者は説得させろ」っていうムチャクチャな要素だと思うんだよね。
んなバカな要求あるかい、って思うんだけど、しかし実際全く外連味の無い作品は面白くないのよな。
まぁ外連味を追求しすぎると、非ファンタジーの世界観だったはずなのに何故かいつの間にかファンタジーものになっていた、という現象が起こったりするわけだけど。
史上最強の弟子ケンイチだって、最初は地に足の付いた努力系バトル漫画だったわけだけど、長老とか空飛んじゃったりどんどんファンタジー化してきちゃったよね。あれを外連味……と捉えていいのかは人それぞれだと思うが、終盤はともかくして、中盤あたりのはまだ外連味だと捉えられた印象。個人的にね。
まぁあれは長寿漫画の宿命とも呼べる苦肉の策じみたものだったかもしれないけど、しかし外連味の重要性、そして難しさを端的に表現した興味深い作品だったと思う。
外連味の重要性は分かったけれど、しかし使いこなせない人が外連味を追求しようとしても、ぶっ飛びすぎだとか、現実味がないとか、読者にそういう感想を与えてしまうのである。
いわゆる新人の作品に対する「荒削り」という評価は、これらの外連味の加減が制御できていないが故に、そういった評価がなされるのだと思う。
では創作に慣れている人(でもプロではない)は? というと、逆に経験的に現実感・非現実感を理解できており、更に創作論にも詳しくなっているせいで、破綻しないように破綻しないように、欠点が無いように、審査員に突っ込まれないように、という完成度が第一の創作法になってしまい、結果としてしっかりまとまってはいるものの、全く外連味の無い(面白みのない)作品が出来上がるのではないかと考えられる。高次審査を通過しつつも最終落ちなどに収まってしまう人・作品は、こういった作り方をしてしまっているのではないだろうか。
最終的には、プロになれるかなれないかは、「説得力」を作り上げられるか? にかかっているような気がする。
説得力さえあれば外連味のあるっていうか滅茶苦茶な内容でありつつも破綻しない物語が作れると思うしね。
これは勉強では得にくいもの(のような気がする)だし、一般的には「センス」とか呼ばれる厄介なものなんだろう。確かに現実ではありえない非現実的な物語を展開しつつ、それでいて読者に対して「どうです! 納得できるでしょう!」と納得させることは基本的に不可能な気がするし、その能力のことを簡単に言い表せばセンスという言葉ほど適格な物も無いように思う。
結局、外連味について考えるということは説得力を考えることと同義な気がする。
でも初心を忘れてしまった身としては、まずどうやったら破天荒な展開が思いつくかどうかと言う方が問題のような……。
どうせ創作論なんてのはつまらなくしないための手段でしかないからね。それだけで面白いものは生まれないからね。初期衝動(笑)だのなんだので頑張るしかないよね。頑張ろう。