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燃え燃えキュン

小説読み書きレビューしたりゲームの考察についてのブログ

考えすぎないということ

 創作の話。

 数日前にある作品を読んで、めっちゃ良かった! と感じたんだよね。

 あの時の感動は嘘ではない。

 だけどその後になって冷静に物語を読み返してみると、うーんなんというのか……。

 別に粗があったりするわけではないんだけど、ちょっと主人公とヒロインの結びつきが弱くない? と感じられたりする。

 なんつーか……読んでいる時には感じられないんだけど、構成だけを見ると大したことがないように見えるというか。

 例えると、完成した作品を見ると「すげー!」ってなるんだけど、それの設計図を見ると「大したこと無さそう」と感じるっていうか。伝わるだろうか。

 その作品も「良かった!」と感じたことは間違いないんだけど、穿った目で見れば、ちょっと都合よくない? と感じられる箇所だったり、人物像にリアリティが感じられなかったり、そういうものも感じた。

 でも大事なのは、そういう違和感を覚えさせないくらいの面白さなんだよね。勿論、違和感を覚えさせないくらい自然な展開が出来るのであればそれに越したことはないんだけども、創作といううそんこのお話をする以上、必ずどこかに破綻というか違和感というか非現実感を与えてしまうことはあるんだろうけど、それを気にならないくらいの面白さがあればいいわけで。

 だからまー整合性みたいなものに縛られるよりは、面白さを優先させたいってことなんだけど、なまじ創作法を知っていると面白さよりも完成度もといツッコミどころの無さを追求した作品作りになってしまいがちになるよね、っていう。

 だからテンションに身を任せて書くっていうのは間違いじゃないと思う。流れに身を任せるというか。整合性なんてのは後から見て最低限を取り繕えばいいんだし。

 つまりは面白さを第一に置いた作り方ができればいいなって話なんだけど、なかなか難しいのよね。

 で、難しい難しい言ってる間に考えすぎてしまい、結局面白さをないがしろにしてしまったりするので、難しいことには敢えて手を出さず、やりたいことだけをまず詰め込むというか羅列してみる作り方っていうのもいいんじゃないかと思うのだ。

 なにこれ? どういう設定なの? と突っ込まれそうな部分でもそれを恐れず「うるせェ! 感じろ! 何となく分かるだろ!」と言い切ってしまえる乱暴さが欲しいというか。

 プロの作品もよく見てみると「あー誤魔化し方うまいなー」と感じられるものがあったりする。本当はツッコミどころ満載なのに、面白さと勢いで上手く押し切っているというか。そういう作品を作りたい。いや本当は見習っちゃ駄目なんだろうけど。

 いやなんつーかね。現実の世界って割とリアリティないのよ。え? そこで普通そうなる? みたいなのが現実では結構あるわけ。

 でも創作ってなると、逆にというか変に現実以上にリアリティみたいなものを求めちゃったりしてるんだよね。それ、本当にリアリティ? 現実でもそんなもんじゃない? というか。非現実のものだからこそ潔癖なまでに整合性を求めてしまっているというか。

 だからまーあれだ。頭を使わない勢いだけの作品を作りたい。

 でもそれができるのって天才だけなんだよね……天才だけっていうか、天才の手法っていうか……。

 あれ? じゃあ結局凡人は地道に創作論に則って作るしかない? あれ?