燃え燃えキュン

小説読み書きレビューしたりゲームの考察についてのブログ

まぁ矛盾

 ゲームをやりたいと思いつつも、ゲームをしていても作業感を覚えるというか「ゲームしてて、これ、なんか意味あるんだろうか」って思ってしまうことが最近増えたような気がする。

 まぁ上の考えを分解すると、結局は「作業感を覚えているゲームにおいてはそのゲームに飽きているということだ」ということなんだろうなぁ、と。

 暇つぶしを前提としてプレイするならそれでもいいんだろうけれど、そうでないならそのゲームはもうプレイすべきではない感ある。

 なんていうのかな。昔はゲームは「それで遊ぶこと」事態に意味を見出していたような気がするけど、今となってはゲームは小説や漫画などといった媒体の一つとして捉えているような気がしている。だから一度クリアしてしまうと、それ以上の情熱を持てないのかなーって。やり込む意義が見出せなくなってるっていうのかなぁ。

 しかし単純に、最近のゲームがつまらなくてゲームのモチベーションが持続しないという可能性もあって、正直自分でも分からないというのはある。もしくは自分がゲームを面白いと感じなくなってきているのか。そこらへんはっきりしない。

 「すばらしきこのせかい」も面白いゲームだとは思ったはずなんだけど、全然シークレットレポートに食指が伸びないし、普通にクリアしただけであと全然手付けてないんだよなぁ。なんでだろう。バトルが面白いとは思いつつも、やっぱ自分に合わないのが問題だったのかな。

 ここらへんが面倒なところで、「面白い」ものが「自分に合う」とは限らないのがあれだよねーって。

 逆に言えば「つまらない」ものでも「自分に合う」可能性があるのが本当に面倒くさい。矛盾しているようだけど、こういうことあるよねぇ。客観的に分析すると「つまらない」に分類されるはずなのに、何故か「自分は好き」っていうモノ。

 まーだから人間は面白いといえるのかもしれないが……。

 

 なんなのかな。手当たり次第に物事にぶつかっていくのが、非効率に見えつつも、実はそれが一番いいってことなのかなって最近思う。