燃え燃えキュン

小説読み書きレビューしたりゲームの考察についてのブログ

アニメという媒体について

 とにかく『尺』の取り方というものが非常にシビアだなぁと感じる。

 テンポが良いというのと端折ってるというのは似ているようで非なるものだし、テンポが悪いというのと丁寧に描写するというのも同じようで違う。難しい。

 テンポが良いアニメというとコードギアスなどが上がって、端折っているというとロクでなし魔術講師とかが挙がってくる。

 テンポが悪いというと六花の勇者ゼロから始める魔法の書などが挙がるが、丁寧というと……なんだろう。自分には挙げられないが、まぁ描写が丁寧な作品も何かしらあるだろう。

 

 つまりアニメにはこれら四つの展開があるわけだが、じゃあどれがいいのか? と言われると難しい。

 そもそもテンポの良し悪しなんてのは人によって感じ方も変わるだろう。

 だが結局は、テンポというよりも『密度』が大事なのではないかという気がする。

 一定時間における情報量とでもいうのか。

 

 例えば六花の勇者であれば、1クールで一巻の内容を描写するという構成だったが、非常にテンポが悪く感じられた。ゼロから始める魔法の書にもほぼ同様のことが言える。

 それはやはり情報量の薄さが原因だろう。

 情報量というのは純粋にお話の内容という意味であるが、他にもアクションの密度という意味も含んでいる。

 簡単に言ってしまえば、五秒間という尺の中におりゃーと一発パンチするだけなのか、剣で切り結ぶのが十回ほどもあるのか、というような話だ。

 六花の勇者では悪い意味で丁寧というか、ぶっちゃければ引き伸ばしている印象を受けた。いやこのアクションはもっと圧縮できただろ、と思う場面が多くあったりっていう。

 

 テンポが良い、悪いというのと端折りすぎ、丁寧というのは似ているようで違い、結局それらというものは情報密度の差なのではないかと自分は思う。

 テンポが良い:展開は早いが情報量が多く、見直す・見返すことで更なる理解・発見がある。

 テンポが悪い:展開が遅いのに情報量が少なく、何度見ても得られるものが少ない。

 内容を端折りすぎ:展開が早いのに情報量が少なく、キャラに感情移入できない・内容が理解できない。

 描写が丁寧:展開が遅いが過不足なく情報が詰め込まれている。ある意味でこれが一番の理想?

 

 という訳で、テンポが早いことと展開を端折りすぎというのは非なるものであることが分かる。

 だから展開が早いだけのものをテンポが良いと判断してしまうのは、非常に危険と言える。

 恐らくアニメの監督や脚本家たちも、当然の如くそれらは理解しているだろう。しかし理解していることと実践できるかということは残念ながら別物なのである。理解していてもアニメという基本的に30分番組というか実質的に20分という時間制約があり、更にはスポンサーや出版社側の思惑などもあるだろうし、そんな中で作品のことだけを考えた内容には、まぁなかなか出来ないんだろうなと思う。

 

 んでアニメを見ていて最近分かったんだけど、アニメ(というか創作物)ってのは色々と制約がある以上、『完璧』な作品を作り上げるということはまず不可能である。粗を探せばどうやったって見つかってしまう。

 しかし肝心なのはそういった粗やボロ、欠点を無くすことに尽力することではなくて、そういった粗を許容してもらえるほどに面白い・魅力ある作品を作ることにあるんだなって。

 今まで自分が読んだ・観てきた作品も、あとで冷静になって考えると「あれ? 結構色々と欠点があるな?」と気付くことが多いが、しかしそれで作品を嫌いになることはなく、面白いと感じた感情だけが残っている。

 そういう欠点を上回る面白さを提供というか作り出すことが、クリエイターに真に求められることではないだろうか。

 なんつーか欠点の無い完璧な作品を作ることは不可能である以上、不完全ではあるけれども面白いと思ってもらえることが一番大事、みたいな話。

 

 じゃあ何すりゃ面白いと思ってもらえんだよって話だけどな……。